<こどもの教会のための祈り(小説教)>歴代誌下6章12-15節
今日の旧約聖書のみ言葉の中の、歴代誌下6章14節に、「イスラエルの神、主よ、天にも地にもあなたに並ぶ神はありません。」ってあったね。これはソロモンっていう王様が、神殿っていう、大きな大きな神様と皆がお会いして、礼拝する場所、言ってみれば大きな大きな教会を造った時に、お献げした祈りなんだ。
「天にも、地にもあなたに並ぶ神はありません」っていうのは、ソロモンが、「私にとってはあなただけが神様です。」って祈った」ってことなんだ。神様を信じるってことは、神様を自分の中で一番大事なものとして、神様が私達に、どんな生き方をさせたいかを、考えながら生きるってことなんだけど、ソロモンはそうしたいと思いながら、時々それを忘れちゃったんだよ。王様がそうだったから、国中の人達もそうなっちゃった。私達もそうならないように、神様にお祈りすることを大事にしようね。お祈りします。
テモテへの手紙Ⅰ 2章1-4節 説教「祈りを全ての人々のために」要旨
今日の説教のための御言葉である、テモテへの手紙1は、今日の新約学者達の研究によれば、紀元後2世紀位に、パウロの信仰に深い影響を受けた一人のベテランの教会指導者によって、若い牧師に向かって書かれた手紙だと考えられています。
紀元後2世紀というのは、キリスト教会にとってどのような時代だったのでしょう。既に教会はユダヤ教からは分離独立しています。それも円満にではなく、追放されるような形を取りました。そしてローマ帝国の枠内に、独自のグループとして生きているのですが、どちらかといえば権力者からは胡散臭い目で見られている、組織的な迫害が起きている訳ではないが、そうはいっても好意的に迎えられていると言う訳でもない、そんな立ち位置で教会は活動していたのです。
当時の教会は、ユダヤ人とユダヤ人ではない人々(異邦人)から成り立っていました。ギリシャ・ローマ世界の人々に、主イエスの福音を伝えようという働きは強められてはいましたが、おそらくまだ、ユダヤ人の方が多かったのではないかと想像されます。そんな中ですから、ユダヤ人社会が教会に集う人々に、どの様な対応をするかは、教会に大きな影響を与えたでしょう。当時、ローマ帝国内のユダヤ人は、あちこちに点在し、それぞれに集まってユダヤ人コミュニティを形成していました。元々,宗教的に他の民族とは交流しない特徴を持っていましたし、食べ物や習慣は非常に独自色が強い人々でしたから閉鎖的ともいえるコミュニティを生みださなければ、生活していけなかったのです。そのコミュニティで指導的役割を担ったのは、ファリサイ派の人々でした。この人々は元来、ユダヤ人の中でも自分たちの生き方を守るために、自分たちを分離させる、独立させる傾向を持っていましたから、その彼らがリーダーとなったことで、ユダヤ人達は益々閉鎖的になっていったのです。
その人々から、天敵の様に扱われたのがキリスト者でした。このことは、キリスト教会がギリシャ・ローマ世界の、いわゆる異邦人の人々への宣教の意欲を高めることにはなりましたが、天敵・虫けらのように扱われたユダヤ人キリスト者は、辛い思いを抱えたでしょう。この様な敵対感情を抱くユダヤ人達は、元来他の民族とは関わらない傾向を強く持つにも関らず、ギリシャ・ローマ世界の人々に向けて、キリスト教批判、キリスト者批判を強めて行きました。人間というものの持つ、罪深さはこのようなところにも表れるのですが、人が誰かに敵意を持った場合、その思いを他の人々にも広め、憎しみの連鎖によって攻撃の手を強めようとすることが多いものです。この場合のユダヤ人達、特に指導者のファリサイ派の人々がそうでした。自分達のコミュニティの中だけではなく、地域の権力者達にも反キリスト者感情を広めようとしたのです。これはある面、功を奏しました。当時の権力者達も、自分の責任範囲に住むユダヤ人グループを、無視出来なかったからです。
この時代、ギリシャ・ローマ世界に生きるキリスト者は、圧倒的に少数派でしたから、このような形で向けられた攻撃は、様々な苦しみをこの人々に与えたことでしょう。その様な状況の中で、この手紙の著者が、「全ての人々のために祈りなさい。あなたがたを苦しめる、権力者のためにも祈りなさい。それが、キリスト者としてのあなたの信仰と、人間としての成熟と、ささくれだった心ではなく、落ち着いた、冷静な心で生活するためです。」と今日の個所で勧めたことを、私達は大切に受け止めたいと願うものです。
何故なら、この手紙の著者の信仰の中には、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」と語られた主イエスの心が生きているからです。この手紙が書かれた頃は、おそらく主イエスが十字架につかれてから百年位は経過していたのだろうと思います。十字架と復活と昇天があり、ペンテコステが起こって教会が生まれてから約百年。この期間に、主の福音は分かち合われ、信じる者たちの心に生き、人々をキリスト者として育て続けていたのです。この著者の思いを自らの思いとするために、み言葉から与えられるチャレンジに応え、主に育てられてご一緒に歩みたいと願っています。
聖なる神様、今日もみ言葉を戴き、感謝致します。テモテの手紙の著者は、私達に、あなたが全ての人々の救いを望んでおられるのだから、例え、怒りや憎しみさえ感じる人々があったとしても、その人々を含め全ての人々のために祈れと勧めていることを覚えます。それはチャレンジです。私達が誰かに怒りや憎しみを感じる時は、自分にとって理由があるからです。でも、それは私達の理由です。あなたはそれを受け止めながら尚、そのチャレンジを私達にお与えになります。その人々をも、あなたは大切に思っておられるからです。その思いとチャレンジを真剣に受け止め、神の僕として成長する私達となることが出来るよう、導いて下さい。主のみ名によって祈ります。アーメン