<こどもの教会のための祈り(小説教)>エゼキエル書18章25-27節
今日の旧約聖書は、エゼキエル書の18章25-27節だった。その中に、「お前たちは、『主の道は正しくない』と言う。聞け、イスラエルの家よ。わたしの道が正しくないのか。正しくないのは、お前たちの道ではないのか。」って書いてあった。
皆はお家でお祈りする?お祈りする時の大事なことはね。先ず神様にごめんなさいって言うことだね。僕達は、神様が喜んで下さる生き方が中々出来ないでしょう?口には出さなくても、「嫌だな」って思ったり、やらなきゃいけないことを直ぐしなかったり。これって、神様を悲しくさせることなんだ。それを先ずごめんなさいって言わなきゃいけないね。
神様は先ず、ごめんなさいって言うことからお祈りは始まるよ、って教えて下さった。そんなの必要ないよ、って思うことは、神様が間違ってる、って言うことと同じだね。預言者エゼキエルと一緒に生きていた人達の中で、そんなことを言う人達がいたんだよ。僕達も、同じような間違いをしないように気をつけないと、折角一所懸命お祈りしても、それが台無しになっちゃうんだ。お祈りします。
使徒言行録17章32-34節 説教「パウロがアテネで得たもの」要旨
昨日教会に参りましたら、聖壇のカーテンが、御覧の様な状態になっていました。梯子を掛けて直そうかとも思ったのですが、「病み上がりで無茶をして」とお叱りを受けそうでしたし、色々考えた挙句そのままにしておきました。聖霊の仕業と考えれば、期節的には相応しいと、勝手な理屈をつけています。
さて、ご心配をお掛け致しましたが、皆様からご加祷を戴き、無事に手術を終え、退院しました。今のところ全てが順調で、大きな問題はなさそうですが、今後共お祈り戴けると幸いです。
今日与えられたみ言葉は、パウロのアテネ伝道の箇所です。使徒言行録によれば、パウロは3回の伝道旅行をしています。そこで、ユダヤ人だけでなく、所謂異邦人にも福音を伝えました。キリスト教会が、本格的にこの人々に対して宣教するのは、彼の時代から約40年程後になりますが、パウロの活躍は、その道備えになったのです。
第1次伝道旅行を終えて、異邦人への伝道の是非を巡って行われたエルサレムでの使徒会議を経て、活動が正式に認められ、意気揚々と第2次旅行に出発しようとした時、パウロは盟友バルナバと衝突します。バルナバは第1次旅行の途中で根を上げた、若者マルコ(後にマルコ福音書を書いたともいわれています)を同伴させようとしますが、そんな弱虫は駄目だとパウロは反対するのです。そして二人は決別し、パウロはシラスを連れて出発します。そして途中の町で、若者テモテに出会い、弟子とし(「テモテへの手紙」はパウロが彼に宛てた手紙という形を取っています)、フィリピで教会をつくり、投獄され、看守とその家族に伝道し、テサロニケでも迫害を受け、同行者と一時離れる形で、単身アテネに乗り込む(シラスとテモテはパウロの後を追ってやって来るのですが)のです。
パウロは、猪突猛進の傾向を持つ人でした。邪魔するもの、障害となるものはなぎ倒してでも進むのです。その彼が、のんびりシラスとテモテを待てる筈はありません。哲学の都、多くのギリシャ文化の発祥の地アテネの、誇り高き人々と勝負するような意気込みで、伝道説教を始めました。アテネの人々は、おそらく厳しい長旅の中で、擦り切れ、汚れた衣を纏った、眼光鋭い小柄な男の真剣な演説に、興味を持ちます。この町の人々の多くは、「何か新しい、面白い出来事はないか」と毎日思いながら暮らしていた様ですから、パウロの存在は、格好の娯楽だったのでしょう。
パウロはアレオパゴスという集会所に伴われ、説教を始めました。しかし、彼にとって最も大事な、主イエスの復活に話が及んだ時、多くの人々のから拒絶されます。彼らが愛するギリシャ神話には、愛する者を追って黄泉の世界に入り込もうとする人々の話もあります。それはみんな悲劇に終わります。生者と死者の間には、越えられない壁がある、とこの人々は考えていました。だから死者の復活は、たわ言に過ぎないのです。
17章34節には、「しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。」とこの伝道が無駄ではなかったことが伝えられていますが、パウロの最初の目算とは、明らかに異なる結果であったのでしょう。おそらく、パウロは敗北感に苛まれたのです。
しかし、この敗北はパウロにとって、一つの転機になりました。18章以降を読むと、彼はアキラとプリスキラ、アポロといった新しい仲間を得ていることが分ります。そしてコリントの信徒への手紙等を読むと、この人々と共同し、この人々から学びながら働いたことが分るのです。猪突猛進のパウロが、共同作業の人、人を育て、人から学ぶ人間になっていったのです。私は、この変化とアテネの挫折は無関係ではないと考えています。
彼は主のみ心を求め、それに従う努力を続けた人でした。そして、主が与えて下さる経験の全てから、学ぶことが出来た人でした。主への深い信頼と、その主に従う信仰が、その歩みを支えたのです。今やアテネはギリシャ正教の中心地。パウロの蒔いた種は、大きく豊かに成長しました。私達も彼の歩みに倣い、主が与えて下さる全ての経験、体験を恵みとして味わい、主の助けの中で、新たにされて行く歩みを続けたいと願います。私達の全ての経験を用いて、主は大きな実りも与えて下さるのです。祈りましょう。
聖なる神様、今日もみ言葉を戴き、感謝致します。パウロのアテネでの体験は、主の導きの意味を求め続けたパウロだからこそ、彼を新たにするものとなったことを、今日は御言葉を通して知りました。感謝です。あなたの恵みは、私達にも様々な体験を与え、それを生かし、新たにするものとして働くことも覚えます。それを味わい、あなたへの感謝と信頼の中で、主と共に歩む私達となることが出来るよう、導いて下さい。主のみ名によって祈ります。アーメン