<こどもの教会のための祈り(小説教)>創世記21章17節
今日の旧約聖書のみ言葉はね、ハガルって女の人のお話なんだ。アブラハムって聞いたことある?旧約聖書の創世記っていうところに出て来る人でね、神様を信じて、「あなたを通して、たくさんの人を幸せにするよ」って言う神様の約束を信じて生き抜いた人なんだけど、その人の妻、奥さんだね、がサラって人で、サラのために働いていた女の人がハガルなんだよ。さっき、アブラハムは神様の約束を信じた人だって言ったけど、そんなアブラハムも人間だから迷う時があってね、自分達に赤ちゃんが与えらないから、「自分達で何とかしよう」ってサラと相談して、ハガルに赤ちゃんを産ませるんだ。でもその後に、約束の赤ちゃんイサクが生まれたから、サラとハガルの仲が悪くなっちゃって、ハガルは追い出されちゃうんだよ。ハガルは砂漠でもう一歩も進めなくなって、「私達はもう死ぬんだ」って思った時に、ハガルと赤ちゃんを天使が助けてくれてね、「恐れることはないよ、神様はあなた達を守って下さるんだよ」って言ってくれたんだ。ハガル、嬉しかったろうね。私達もアブラハムやサラやハガルみたいに、自分勝手に考えて失敗することも多いけど、神様はそんな私達をちゃんと見ていて下さるんだね。お祈りします。
ローマの信徒への手紙9章24節 説教「憐みの器」要旨
今日の説教題は「憐みの器」です。与えられた、ローマの信徒への手紙のみ言葉に記されている言葉ですが、聖書が与える言葉の中でも、私達が生きる上で、大切に受け止めなければならないものの一つだと感じています。
先ず、「憐み」について考えてみましょう。第1に受け止めなければならないのは、「神の憐み」です。神は私達を、心を込めて、丁寧に造って世に送り出して下さいました。私達の身体のどの器官も、精巧に精密に造り上げら、素晴らしい機能を持っています。これ一つを採っても、神の配慮が感じられます。そして聖書は、神は私達を、他の被造物に対し、神のみ心を表す生き方をさせるために、信頼し合い、助け合い、協力し合って生きて行くために、この世界に送り出して下さったのだと語るのです。
しかし現実はどうでしょう。互いに信頼出来ず、理解出来ず、足を引っ張り合い、傷つけ合って生きている私達です。その現実を神は御覧になり、深く憐れまれるのです。その憐みとは、可哀相だとか、同情するというレベルには留まりません。その現実を悲しみ、心を痛めながら、それを変えるために、具体的な行動を生み出すものなのです。その神の、具体的な行動の一つ一つを克明に証言したのが聖書です。ですから聖書は、神が、最終的な決断として、愛する御子イエス・キリストを救い主として世に送り、主イエスを通してみ心を教えて下さっただけでなく、私達を神のみ心に沿う歩みを妨げている、対立や相互不信など、私達を孤立させる、罪の支配から救い出すために、御子を十字架につけ、その命を献げさせる道を、お選びになったことを証言するのです。
この十字架は、この世界に生きる全ての人々を、神のみ心に沿った、真の幸いを生み出す生き方に、導くためのものです。ですからこの世界の全ての人々が、「神の憐みを受ける器」として生きているのですが、多くの人々はそれに気づきません。そのために、神は私達を選び、私達を通して、世界の人々にこの事実を伝えようとお考えになったのです。
そのために、神はどのようなお方か、私達のために、どの様に働いて下さったのかを知る必要が、私達にはあります。そのために読むのが聖書です。そのために集うのが礼拝です。そして神を知りたいという思いの中に生きる時、神は私達に信仰を下さり、心を神に向け、今、私達に何をして下さっているのかを理解するために、私達は祈る人間へと導かれます。
ですから祈りは神への願いごとではありません。神のみ心やその働きを感じ取るために、神に心を向けるためにするものです。ですから、美しい言葉や流暢な祈りが大事なのではなく、神に心を向けることこそ、最も大事なことです。
そして神というお方を知れば知るほど、今の私達をこんなに深く愛し、支えていて下さる方だと気づけば気づく程、感謝と献身の思いが強くなっていきます。その様な生き方に導かれていく時、私達は「神の憐みを証しする器」として育てられて行くのです。私達がなすべき大切な証しとは、生き方を通して成すものです。神への感謝と、感謝としては本当に貧しく、恥ずかしいものだけれども、「少しずつでもあなたが喜んで下さる生き方を目指して生きて行きます、神よどうぞ私を育て、あなたの働きに仕える者として用いて下さい」と祈りながら歩んで行く人生において、神が与えて下さるものなのです。自分の満足や喜びのためではなく、自分の思いの実現のためでもなく、神の満足、喜び、その御計画の実現のために用いられたい、仕えて行きたいと願い、祈る姿勢が、神の憐みを証しすることに繋がるのです。始めは小さなものでも構いません。感謝と献身の思いをもって、神を見つめ、その働きを見つめ、与えられた、神の憐みを証しする務めに、ご一緒に励む私達へと、導かれたいと願うものです。祈りましょう。
聖なる神様、今日もみ言葉を戴き、感謝致します。あなたは私達を「憐みの器」とするために選んで下さいました。それは、私達が「あなたの憐みを受ける器」として存在するためであり、「あなたの憐みを、世の人々に証しする器」として生きるためでもあったことを覚えました。あなたを見つめ、そしてあなたの働きを見つめ、あなたから与えられた務めに励む私達となることが出来るよう導いて下さい。主のみ名によって祈ります。アーメン