<こどもの教会のための祈り(小説教)>コリントの信徒への手紙Ⅱ8章7節
今日の新約聖書は、コリントの信徒への手紙Ⅱ8章7節だった。あのね、ミカンって好き?今は季節じゃないけど、冬に暖かいお部屋で、甘いミカンを食べるの、先生大好きなんだ。そのミカンがここに20個あったとするね。それを10人の人で分けたら、一人2個ずつ食べられる。じゃあね、ミカンが70個あったとする。それを30人で分けたら、一人2個ずつ食べても、まだ10個余るんだ。次にね、70人の人に30個のミカンだったら、どうかな?一人が1個も食べられない。一人が半分の半分位かな。もし2つ食べたいって人が15人いたら、たくさんの人が、1個も食べられなくなっちゃうね。
今日の新約聖書に出てきたコリントってところに住んでいる人は、お金持ちが多かったから、教会に人もお金持ちがいたんだ。でもね、その人達、自分のことばかり考える人だったんだよ。70人の人に30個のミカンしかないのに、僕どうしても2個食べるって言い張る人みたいにね。他の人のこと、考えられない人が、結構いたんだよ。それでね、パウロさんが、他の人のことも考えようね、神様やイエス様は、あなたたちのことを大事にして下さったんだから、あなたたちも他の人のことを大事にしようよ、って呼び掛けたんだよ。他の人のことを思えない人は、神様やイエス様のことを分らない人と同じだよってね。僕たちはどうかな?考えてみようね。お祈りします。
申命記26章10-11節 説教「祝いの前に、先ず献げ物を」要旨
説教の中で、幾度となく申し上げていることですが、旧約聖書の申命記は、ユダヤ民族の英雄であり、偉大な指導者であったモーセの遺言という形を取った書物です。しかしこの書物が書かれたのは、モーセの死後のことで、ユダヤ民族が当時の大国バビロニアと戦争し、破れ、多くの指導者層が捕虜としてバビロニアに連行され、奴隷として過ごした辛い日々を回顧しながら、解放され、帰国を許された後に、歴史家グループが「何故あの様な辛い体験をしなければならなかったのか」を解明するために、この形で民にそれを示した書物なのだと、今日の多くの学者は考えています。そして今日の箇所でもそれは良く表され、神との関係を生活の最重要課題としなかったことが、辛酸をなめた原因だと語っているのです。
今日の箇所に先立つ26章1節以下では、神が約束の地であるカナンにあなたがたを導いたのちに、その土地の実りを携えて、神の所に赴きなさいと勧めます。10節の「わたしは。主が与えられた地の実りの初物を、今、ここに持って参りました。」とは、礼拝所で祭司を前で成す、神への告白の一部です。それは、5節から続いています。この、「わたしの先祖は、滅びゆくアラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り、そこに寄留しました。」で始まる一連の言葉は、ユダヤ民族に伝わってきた、当時のユダヤ人なら多くの人々が知っていた、伝統的な信仰告白です。そこに記されているのは、「私達は、弱くで貧しい存在であったが、神の絶大は保護と導きと支えの中で、今日の生活がある。」という告白です。ですからその時携えていた農作物は、自分達の努力や苦心がどんなに大きなものであったとしても、それを誇るために献げるのではなく、神に感謝し、その感謝のしるしとして、その後の生き方を、神のみ心に従いつつ行うという決意の表れとして、献げられるべきものだったのです。
イギリスに、長い間、宣教師であり、医師であり、冒険家であったリビングストンの子ども時代の逸話と信じられてきたお話があります。その少年は、貧しい、苦しい生活の中でも、教会の礼拝を欠かさなかったといわれていますが、ある時、礼拝で示された神の愛に感動し、貧しさの中で献金が出来なかったために、「僕を自身を献げます」と申し出たというのです。そしてそれは、献身のしるしとしての献げものの意味を、周囲の大人たちに深く感じさせるものとなりました。また同時に、今日の御言葉の示すこととも、深く関わることだと、考えることが出来るのです。
私達は、毎週の礼拝で与えられるみ言葉を、日本基督教団の聖書日課に従って受け取っています。そして主日毎の日課には、この日の主題が示されているのです。今日の主題は、「生涯のささげもの」です。そこにあるのは、私達が神への感謝と献身のしるしとして、精一杯の献げものを、神に献げて生きているかをもう一度、み言葉を通して確認しようという思いです。そして、申命記のみ言葉は私達に、献げ物の大切さを示していることに気づくことが大切です。それだけでなく、神に生かされ、守られていることへの感謝が献げ物なのだということを心に刻み、それは、どんなものより先立つものだという、申命記の著者の思いと信仰を、共に継承して行きたいものだと願います。祈りましょう。
聖なる神様、今日もみ言葉を戴き、感謝致します。申命記のみ言葉は私達に、献げ物の大切さを示していることに気づかせてくれました。感謝致します。み言葉を通して、私達が、あなたに生かされ、守られていることへの感謝が献げ物なのだということと、それはどんなものより先立つものだということを示され、改めて心に刻みました。その思いと信仰を、共に継承して行く私達となる様、導いて下さい。主のみ名によって祈ります。アーメン