<こどもの教会のための祈り(小説教)>サムエル記下1章23-25節
ダビデって名前の王様が聖書に出て来るのを知ってる?イエス様のこの世界のお父さんの、ヨセフのお祖父さんのお祖父さんの、これまたお祖父さんの、ズーっと昔のお祖父さんだったんだけど、今日の旧約聖書は、そのダビデが王様になる前のお話だね。
ダビデの前の王様がサウルって名前で、その息子がヨナタン。ヨナタンとダビデは大の仲良しで、どんなことがあっても友達でいようねって約束した位だったんだ。
そのヨナタンが、戦争でお父さんのサウルと一緒に死んじゃった。その知らせが届いた時、ダビデはとっても悲しくて、歌ったんだ。「勇士は戦いのさなかに倒れた」ってね。サウルもヨナタンも、とっても強くて勇敢な人だったけど、神様にお祈りすることが少し足りなかった。神様が喜んで下さる生き方をするために、聖書を読んだり賛美歌を歌ったりお祈りすることって、大事なことだよ。ダビデは小さい子どもの時からそれをしていて、ずっとそれを止めなかった。神様が喜んで下さる生き方をしようって気持ちを忘れないと、神様が幸せを下さるんだ。お祈りします。
ヨハネによる福音書14章1-6節 説教「わたしは道、真理、命」要旨
今日、説教のための御言葉として与えられたヨハネ福音書14章1-6節は、主イエスは十字架を前にして、弟子達を案じ、心を込めて語った言葉の一部分です。
主は最初に、「心を騒がせるな」と呼び掛けています。この箇所を、ある学者は「あなた達の心は、かき乱されてはならない」と訳しました。「かき乱す」とは「落ち着いていたものが混乱する」という意味ですが、「通常受身の形で用いられる」と辞書は伝えます。ですから先程の学者は、「十字架を前にして、それ以前には落ち着いていた弟子達の心が、何かによって混乱させられることを、主は案じておられる」と解釈しているのです。何によってでしょう。それは悪魔が操る、罪の力です。この力は、人間の弱さ、不完全さ、傲慢さの中で力を発揮します。これらのものは、誰しも持っているものです。例えば弟子達は、主イエスの側近を自認し、どこまでも従おうと決心していました。しかしユダの心の中に、自分の願い通りにならない主イエスへの不満が生じ、それが憎しみへと増大し、主への裏切りへと走ったのです。ペトロにしても、主を案じていたから大祭司の家まで尾行したのに、最後には、逮捕される恐怖から主を否認します。皆、心をかき乱されていたのです。
罪の力によって、自分の心がかき乱されないようにするにはどうするか。「神を信じ、私を信じなさい」と主は言われます。そして2-3節は、十字架の道を歩むのは、父なる神とあなたがたの間に。強い絆を生み出すためであり、そのために十字架の死と復活を経て、昇天するけれども、やがてあなたがたを迎えるために戻って来る。あなたがたのことを案じ、救い出すために、一体となっている神と私を信じなさい、と勧めるのです。
この大切な使命を、折に触れ、主は弟子達に語って来ました。ですから4節で、「わたしの道をあなたがたは知っている」と語られるのですが、自分の思いが心の中で膨れ上がり、自分に都合の良いことしか耳に入らない弟子達にはそれが分りません。そこで5節のトマスの言葉が飛び出すのです。しかし主はそれを受け止めて、大事な言葉を示されます。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとへ行くことができない。」という有名な6節の言葉です。
ここでの「父のもとへ行く」とは、「神と共に生き、神の家族の一員となり、やがて完全な救いの中で、本来の自分を回復し(罪の中に生きているときは、本来の自分ではないのです)、永遠の世界で生きる」ということです。そこに至る道(主イエスとの出会い)の中で、私達は真理とは何か、本当の命の用い方は何かを知り、経験して行くのです。
先日、横田慎太郎という青年の話を知りました。阪神タイガースの元選手です。将来を期待されていたのでしたが、脳腫瘍を発病し、闘病の末、引退します。今25歳です。その横田さんは、苦しい治療を乗り越えて、一時は、腫瘍の消滅の喜びを経験するのですが、やがて再発し、2度目の戦いを迎えます。苦しい治療、絶望感、希望の見えない苦しみ、死への恐怖に満たされる中で、ある日彼は病院のベンチに座るのです。
彼は言います。「ふと周りを見ると、たくさんの患者さんが下を向いて辛そうにしていた。自分のことも不安でしたけど、元気になって、苦しんでいる人の力になりたいと思った。その瞬間がなかったら、自分もどうなっていたか分らなかった。でも今度こそは、と言う気持ちが強くなったのです。」彼は続けます。「これは神様からの試練だと思うのです。2回も大きな病気が来るってことは、神様も絶対乗り切れるって思ってくれるんだと信じています。」彼がクリスチャンかどうかは分りません。でもそんなことには関わりなく、神が彼に働きかけたのだと思います。自分も辛い中、辛そうに下を向く患者さんを見て、自分と同じと下を向く人は多いでしょう。でも彼は顔を上げて、「元気になって、苦しんでいる人の力になりたい」と思う。普通ではあまり考えにくい展開です。でもそれが、彼を生かす本来の道だった。彼に命を与えた神が、望んでおられた道だった。その道に歩むきっかけを、主はそっと示したのだと思います。豊かな愛の中で。
主イエスは私達を、父なる神のもとに導き、真理を示し、真の生き方を教える方です。主の救いの働きに支えられて、神の民として、育てられる祝福を感謝して、主の助けの中、ご一緒に歩みたいと願うものです。
聖なる神様、今日もみ言葉を戴き、感謝致します。主イエスは私達を、父なる神のもとに導き、真理を示し、真の生き方を教える方です。その主が、今日の御言葉の中で、私達があなたを信じ、安心して主イエスの育てて戴く歩みを私達に与えるために、十字架と復活の道を歩むことを示されたことに感謝致します。主の救いの働きに支えられて、み心の適う生き方をすするために、聖化の道に生きることが出来ます。その祝福を感謝し、心から主に従う歩みに導いて下さい。主のみ名によって祈ります。アーメン